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明治から大正にかけて
産業・交通の面で機械化が進みました。明治31年(1898)に常磐線が開通、「つくば」にも大正10年
(1921)に筑波鉄道(昭和61年廃線)が開通し、産業を支えました。
この間に、日清・日露戦争を経て第一次大戦が起こり、そして、昭和初頭の不況を背景に軍部が台頭、
日中戦争、第二次世界大戦が勃発しました。「つくば」にも谷田部、西高野の飛行場のような、
軍の施設が作られました。
第二次大戦後
日本は民主主義の世の中となり、首長の民選、婦人の参政権などの大改革が行われます。
これに伴い学制、行政、裁判等にも改革がなされました。昭和30年・31年には町村合併が相次ぎ、
「つくば」は桜村、谷田部町、豊里町、筑波町、大穂町の5町村にまとまりました。この合併のころから
経済も徐々に復興し、いわゆる高度成長の時代が到来しました。
昭和38年9月〜
筑波研究学園都市の建設が閣議了解され、「つくば」は大きく変わり始めます。
昭和48年には国立筑波大学(旧東京教育大学)が開学、昭和55年3月には47の国などの
試験・研究・教育機関の移転・新設が完了し、業務が開始されました。
また、筑波研究学園都市の周辺には、研究施設の活用と企業活動の能率化を考え、研究団地・工業団地が造成されました。
さらに、昭和60年の国際科学技術博覧会の開催により、科学の街つくばの知名度が飛躍的に高まりました。
このようにして、同都市の中心部は今までの農村地帯と全く違った様相を示してきました。
こうした流れの中、町村合併の機運が高まり、昭和62年11月、大穂町、豊里町、谷田部町、桜村の4町村が合併、
翌63年1月には筑波町も編入し、「つくば市」が誕生したのです。また、平成14年11月には茎崎町と合併しました。
現在、つくば市は167,699人(平成14年3月現在)の人口をもち、水戸市、日立市に次ぐ県下第3位の大都市となっています。
そして平成9年11月30日の市制10周年を記念して市のシンボルとして「花・鳥・木」が決定しました。
花 は「ホシザキユキノシタ」。鳥は「フクロウ」。木は「ケヤキ」です。
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